普通とは

普通とは

50歳を前にして普通と言う言葉が解らなくなった。
元々「普通じゃないね!」とか「変わっているね!」とか言われると私にとっては称賛に近い言葉であるから気にはしない方なのである。

しかし、よくよく考えると「普通」って何を以って普通なのかが解らない。

今までは「普通」と言う言葉を何の躊躇もなく使っていたが、ブログを始めて色々な言葉を考える中で「普通」の壁にぶつかったのである。

馬術を教えていると、時として考えさせられることがあります。
10頭の馬が居て10人の乗り手が居たとします。そして、この人馬が代わる代わる交代したとすると、10×10にはならず、10の10乗になるのである。いやそれ以上になります。
10頭の馬は各々の意志があり感覚もあります。当然、乗る人にも各々の意思があり感覚もあります。そして体重も違うので、馬にとっては負担が変わってきます。
これを教えるとなると、1頭の馬に対し10人分教えるノウハウが必要になり、そして日が変われば、これまた人馬の体調によってお互いの都合が変わってくるので教えるノウハウが変わってきます。

こう考えると自分のノウハウ量が膨大なのにも拘らず、日々こなせている事に不思議な感覚に陥ります。

そうです私の教え方に「普通」は無いのです。

普段通りを「普通」と言うならば、普段通りにできないのが馬術です。

そして、「普通」の壁にあたりました。

これは馬術に限らず、人にはそれぞれの都合があり十人十色と言いますが、そう考えると「普通」と言う言葉が通用するのは機械がいつもと同じように動く、電車がダイヤを崩さず動くようなことにしか使えない言葉なのでは?

意志あるものに「普通」と言う言葉を使うのは違うのかなって思い「普通」が解らなくなりました。