欲と本能

【欲と本能】

 

よく人間の三大欲求と表現され、食欲・睡眠欲・性欲と表現されますが、動物を扱っている私はちょっと違うかな?って常々思っております。

 

食欲

これは生きていくために本能に備わっているもので、生まれたての哺乳動物は目が見えなくても母親の乳首を探し当て授乳します。これを欲求というには陳腐ではないのですかね?

確かに成長するにつれ「あれが食べたい、これが食べたい」と言うようになりはじめて欲求と呼べるようになるのではないでしょうか?

それ以外の食べる行為は本能ではないですかね?

 

睡眠欲

これも誰が教えたわけでもなく生まれたての動物は何かとすぐに寝ます。

ただ単に脳と体を休めないと生きていけない本能に基づく行為なので、欲求とは違う気がします。ただ、社会生活していくうえで、習慣化され体が自然とリズムを作ったときに「眠い」となるのでは?リズムの滅茶苦茶な私は体が必要としたときにはじめて眠くなり寝ます。そうでないときは寝れません!自分が欲求しても寝れないのは欲で寝るものではなく本能で体が危険と感じて寝るのでは・・・

 

性欲

これは人間と動物ではちょっと違います。

根本は子孫繁栄の本能にあると思いますが・・・

動物は自然状態で交配させようとするとメスの発情がないときはオスもメスも要求しません!

不思議なもので、牡の馬を人間の管理下に置いていると年がら年中発情しています。牝については排卵の周期で発情します。

牝は発情していないと牡を絶対に受け入れません。結局、生活環境によって性欲は変わってきます。

 

人間はどうでしょう?

女性の発情に関係なく頻繁に交配します。これは本能よりも快楽に対する欲求ですかね?

男性はいつでもOK的な・・・(笑)

あくまでもノーマルな人限定ですが・・・

 

そうすると欲求というものは人間が生まれてから社会生活を育む上で少しずつ備わってくるものなのかと感じ得ません。その時の年齢や生活環境によって欲求は変わってくるとも思います。

 

で?

 

結論は動物の本能から鑑みると3大欲求はちょっと違うのかなって事であります。

普通とは

普通とは

50歳を前にして普通と言う言葉が解らなくなった。
元々「普通じゃないね!」とか「変わっているね!」とか言われると私にとっては称賛に近い言葉であるから気にはしない方なのである。

しかし、よくよく考えると「普通」って何を以って普通なのかが解らない。

今までは「普通」と言う言葉を何の躊躇もなく使っていたが、ブログを始めて色々な言葉を考える中で「普通」の壁にぶつかったのである。

馬術を教えていると、時として考えさせられることがあります。
10頭の馬が居て10人の乗り手が居たとします。そして、この人馬が代わる代わる交代したとすると、10×10にはならず、10の10乗になるのである。いやそれ以上になります。
10頭の馬は各々の意志があり感覚もあります。当然、乗る人にも各々の意思があり感覚もあります。そして体重も違うので、馬にとっては負担が変わってきます。
これを教えるとなると、1頭の馬に対し10人分教えるノウハウが必要になり、そして日が変われば、これまた人馬の体調によってお互いの都合が変わってくるので教えるノウハウが変わってきます。

こう考えると自分のノウハウ量が膨大なのにも拘らず、日々こなせている事に不思議な感覚に陥ります。

そうです私の教え方に「普通」は無いのです。

普段通りを「普通」と言うならば、普段通りにできないのが馬術です。

そして、「普通」の壁にあたりました。

これは馬術に限らず、人にはそれぞれの都合があり十人十色と言いますが、そう考えると「普通」と言う言葉が通用するのは機械がいつもと同じように動く、電車がダイヤを崩さず動くようなことにしか使えない言葉なのでは?

意志あるものに「普通」と言う言葉を使うのは違うのかなって思い「普通」が解らなくなりました。