【狭い視野】
私は馬術家であります。
馬術というのは世界的に行われているスポーツであり、オリンピック種目にもなっております。
日本では馴染みが薄く、富裕層の娯楽と考えられがちですが海外では自分で乗らずとも観戦を楽しむファンが沢山います。
特にヨーロッパの大きな競技会ともなればテレビ中継が入り、選手たちは大勢のファンに囲まれてサイン攻めにあうくらいです。
日本で言いうところの野球やサッカーと同じくらい社会的地位があります。
日本の有名な野球監督が馬術は人口も少なく、ひとたび競技場を作るとなれば広大な敷地と多額の工事費がかかるため「野球をオリンピック種目から外すくらいなら馬術を外せ」と批判いたしましたが、ただ吠えて終わりました。
確かに日本国内を見れば、野球人口のほうが遥かに馬術人口を凌ぎ、ファンも沢山います。
日本は第二次世界大戦敗戦後、アメリカの庇護の元現在に至っております。
アメリカも野球人口が多く、沢山のファンもいますが、国土は大きくとも一国であります。
国別に見ていけば、どれだけ多くの国がそのスポーツに関わっているかによりオリンピック種目に認定され取り入れてもらえます。
日本国内だけに目を向けていると多くのものを知らずに野球監督のように日本中に恥をさらす形になってしまいます。
野球監督は野球一筋、プロ中のプロで凄い方なのでしょうが、視野が狭かったのでしょうね!
私は世界的に行われているスポーツに関わることにより、海外に行くこともよくあります。
海外から見た日本、日本から見た海外。
双方から見ることにより普段見えないものも見えてきます。
私の主観ですが海外から見ると日本は大変著しく高度成長した素晴らしい国です。
しかし、国も人も同じように成長した次に何が起こるのか?
後は衰えていくだけです。
人間ならば体は衰えても知恵や知識が豊富になる分、人間としての成長を見込めますが国はどうでしょう?
知恵や知識が豊富になった分、というより便利になった分、人は怠ける方向へと向かい自分の力で何かをやり遂げようとする意識が薄れていきます。
国民の自立意識が薄れれば、国全体の意識へと変貌するに違いないです。
何かものを良くしようと思えば、物そのものの全体像を掴む必要があります。
そのものの中では全体像を見る事が出来ません。
そのものの外から見る事が出来なければ、全体像を見る事も掴む事も出来ません!
日本国民ならば、自分の国の全体像を見てみたいと思いませんか?
そして、自分の将来は自分で切り拓き、自分で保証を付けて安心した生活を送り楽しみたいと思いませんか?
自分を世界の中心において世界を見る事により成長できますよ!
私は海外に行くことが大好きです。
世界は色々なことを教えてくれます。
とりあえず海外に行ってみましょうよ!
自分の住んでいる日本を知るために・・・
自分の住んでいる世界を知るために・・・
自分の住んでいる地球を知るために・・・
馬ですら海の向うを見ていますよ!
それとも遠い故郷オランダを見てるのかな?