変人

【変人】

私は馬術家であります。乗馬クラブも経営しています。

そして、私は変人です。

「変わった人」と言われるのは私への最大最高の賛辞です(笑)

一般的に考えて、動物を飼ったことが無い人から見れば、動物と会話したり舐めまわしたりする人は奇特に見えますよね?

私は父親の仕事の関係上、物心ついた時には馬に囲まれておりました。

小さい時に遊び相手がいない時など馬屋に入って馬と一緒に遊んでいました。

10歳になると馬に乗りたく、近くの乗馬センターで馬に乗り始めました。

そんな生活ですから漫画のように人より馬との会話が上手に出来るようになりました。

むしろ人との会話のほうが苦手なくらいでした。

だからと言ってテレビでやっている胡散臭いアニマルコミュニケーターとは違いますよ!

人よりチョットだけ馬との会話が上手なだけです。

そこを活かして今の仕事が成り立っています。

私が教えている生徒に「先生は何もしていないように見えるけど、どうして馬が言う事聞くんですか?」って言われます。

私は「あなたより少しだけ馬語が解るからです。だから技術ばかりを追いかけるのではなく、馬語を解るようにしましょう!」と言います。

馬に乗るには技術も必要ですが、その技術は馬との会話が成立するための手段の一つでしかありません。

馬術は馬と共に行うスポーツです。

本質を理解していないと上達はしません!

何事も追及没頭すると傍から見て理解不能に見えてしまいます。

「変人」

「変わった人」

と言われて怒る人がいますが、結構じゃないですか!

変わっているからこそ個性が生まれるのに・・・・・

個性を大事にしましょうよ!

個性を見つける旅に出ることをお勧めします。

PS

私、茨城県で乗馬クラブを経営しております。

そして、ナショナルチーム経験のある競技者であり現在も現役選手です。

インストラクター・トレーナーとしても、多くの子供を全日本大会や国民体育大会に送り出し、入賞者も沢山輩出いたしました。

馬とふれあい、馬と共にスポーツを行い、喜びを分かち合う事により子供たちの精神を健全に育成することができます。

動物と触れ合うことによる最高の情操教育を提供しております。

子供を私に預けてみませんか?

興味のある方は是非お立ち寄りください

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残念な親

【残念な親】

 

私は馬術家であります。

 

乗馬クラブを経営していて、会員という形で多くの生徒がいます。

 

先日、子供の親とのやり取りが以下のようにありました。

 

その両親はほかの乗馬クラブに自分たちの馬を預け毎週末に馬の面倒を見ているほど熱心なのですが・・・

 

父親「最近うちの娘はどうですか?」

 

私「まだ5年生なのと平均より体が小さいので、馬に乗って私のレッスンを受けるにはまだ早いですね!」

 

父親「じゃあどうすれば?」

 

私「今は子供に何をさせるのか?より子供自身が何をしたいのか?そして何が楽しいのか?のほうが大切であり、今急いで何かを求める必要はないですよ!」

 

母親「でも、子供には目的意識を持たせモチベーションを上げたい」

 

私「モチベーション?モチベーションは本人がその時々に持つものであって、誰かが上げるべきものではないのでは?まして5年生の子供ですよ!」

 

母親「それでも何か目的があり馬に乗せる方が上達も早いのでは?」

 

私「今は上達よりも何よりも馬に乗る楽しさ、乗馬クラブで色々な人や動物と関わりそれが楽しいことであれば、それで十分ですよ!」

 

母親「先生を信頼して預けている以上、子供の上達を望むのが親ですよ!」

 

私「体に合わない大きな馬を私の所に来る前に乗せていたせいで、基本が崩れているから、その癖を直すのに時間がかかり基本ばかりをやっていて大きな上達が見えないのは当たり前ですよ!」

 

母親「やらせる以上はもっと何とかしてほしい!」

 

私「じゃあ極論を言わせてもらいます。子供に英才教育を施したいなら体に合った良い馬を買い与えなさい!ちなみにヨーロッパへ行って本当に良い馬を探しますから最低でも6~800万円用意してください」

 

父親「それは極端過ぎでは?」

 

私「だから極論と言っているでしょ!それが出来ないのであれば、今は子供の成長を待ちましょう!そして子供が何をしたいのかの方が大切です。」

 

母親「子供は乗馬クラブへ来ることを楽しみにしています。週末に雨が降るとガッカリしています。」

 

私「じゃあそれでいいじゃないですか?親に無理やり行かされている習い事ではなく、雨が降れば乗馬クラブに行けないことをガッカリするほど楽しい所と感じているのであれば。子供の意見を尊重してあげればいいじゃないですか?」

 

父親「家に帰り3人で話し合ってみます。」

 

私「そうしてください。子供の意見を尊重してあげてください。今親として出来る事をしてあげてください。」

 

長年、動物を相手に仕事をしていると気味悪がられますが、相手の考えが何となくわかってしまいます。

 

人の家の家計は分かりませんが、そこまで子供に金を掛けられないのも重々承知の上で極論を提案しました。

 

今の状態なら月々2万5千円から3万円で済むもんで「せめて、子供のために今、出来る努力をしてあげてください」と願いを込めて・・・

 

そして昨日、親から申し出を受けました。

 

父親「しばらくお休みいたします。体が小さくて上達の見込みが薄いのであれば、ここに来る意味もないので大きくなるまで休みます。」

 

私「話し合いの上でそうなったのなら仕方のないことですね!」

 

母親は終始下を向いていたので本意ではないと察しましたが、お金が絡んでくるので無理強いはしませんでした。

 

そして昨夜、カミさんから話を聞いて後悔しました。

 

結局、子供の意見を尊重していなかったのです。

 

子供が「ここに来れなくなってしまうけど、嫌だなぁ」「今のうちにここの写真いっぱい撮っておこう、辛くなったら写真見て思い出そう!でも見たら泣いちゃうかも!」「仙波先生パパの事説得してくれたかな?」と言っていたそうです。

 

一昨日、昨日と子供が一生懸命うちの馬たちの写真を撮っていたんです。

 

違和感を感じていたけど、子供とは喋らず仕舞いでした。

 

今思うと、その時に話を聞いていれば、両親にもっと違う話が出来ていたのかもしれないと後悔しました。

 

しかし、その反面「これで良かったのかもしれない!」という自分もいます。

 

馬術を本格的にやっていこうとすれば、必ずお金の問題に直面します。

 

私はこの両親と10年来の付き合いですが、子供に馬術の英才教育を施せるほど裕福ではありません!

 

10年前と変わらない状況なので、今後も変わることはないと思います。

 

後々、裕福な家の子供と競うようになったら僻みやっかみしか言わない子供になってしまうと思います。

 

「それならいっそ辞めてしまった方が幸せなのかもしれない」と

 

私は今私が手掛けているビジネスを紹介してあげたいのですが、父親は今までの付き合いの中で馬の事に関しても子供の事に関してもアドバイスをしても一切聞かない人でした。

 

両親の馬を預けている乗馬クラブのオーナーの話だと馬も今はひどい状態で見ていて辛いそうです。

 

本当に残念な親です。

 

馬術に限らず子供に何かをやらせようと思えば、お金はかかります。

 

本人が望む事にお金を用意出来ないのは不本意でしょうが残念です。

 

残念な親にならないように・・・・・

 

子供の将来の為に・・・・・

 

自分の将来の為に・・・・・

 

変わりましょ?

 

私は子供が出来ない体なので、子供はいませんが弟子の為に進化中です。

 

私が手掛けているビジネス

 

私の進化の源

気づきと行動

【気づきと行動】

 

私は馬術家であります。

 

生徒・弟子たちに常に伝えていることがあります。

 

馬に乗っている時はもちろんの事、厩舎にいる間は常に何かに気づけるように「気を配りなさい」と・・・

 

何に気づくかは人それぞれの感性があるので、何に気づきなさいとは言いません!

 

地上にいるならば「そこらにゴミが落ちてる」「ドアがちゃんと閉まってない」「バケツが汚い」「馬の飲み水が無い」「馬の歩き方がおかしい」「馬がいつもより元気が無い」等々、数え上げたらきりが無いです。

 

馬上にいるならば「自分のバランス」「風の強弱」「太陽の位置」「馬の動き」「馬の考え」「他の馬の動き」「自分と馬の意思の疎通」等々、これもきりが無いほどたくさんあります。

 

先ずは「気づくこと」

 

地上では

 

ゴミが風で飛ばされ、それに驚いた馬に足を踏まれる可能性

 

風でドアが急に開いたり閉まったりして、その音でビックリした馬に轢かれる可能性

 

バケツが汚く、その中の水を飲んだ馬が病気になる可能性

 

水の飲んでない馬が脱水症状に陥る可能性

 

馬がちゃんと歩けない怪我を負っている可能性

 

元気が無いのは病気の可能性

 

馬上では

 

バランスが悪ければ上手に乗れない可能性

 

風の強弱で、スピード感覚が狂いめちゃくちゃなペースになる可能性

 

太陽光の反射や馬が自分の影に驚く可能性

 

馬の動きが突然おかしくなり怪我した可能性

 

馬が突然走り出したくなり、人を無視して走り出す可能性

 

他の馬とぶつかる可能性

 

自分の意思は右に曲がりたいのに馬は左に曲がり落馬する可能性

 

もし、「気づかなければ」どれも重大な事故や馬の病気に関わってきます。

 

次に「気づいたならば即行動」

 

ゴミを拾ってゴミ箱に捨ててさえいれば馬に足を踏まれないで済みます。

 

ドアがちゃんと閉まっていれば、それに馬が驚くこともないので、轢かれることも有りません。

 

バケツがきれいならば、その水を馬が飲んでも問題ありません。

 

喉の乾いたときに水を飲んでいれば脱水症状も起きません。

 

馬がちゃんと歩いている分には怪我してません。

 

病気の馬は元気になれません。

 

バランスよく乗っていれば、大概上手に乗れます。

 

ペースが良ければ馬も気分よく走ってくれます。

 

反射や影を前もって慣らせておけば馬は驚きません。

 

突然馬の動きがおかしくなり下りてあげれば怪我をそれ悪化させることはありません。

 

馬の考えがなんとなく分かれば前もって対応できます。

 

他の馬の動きを読んでいれば、ぶつかる事もありません。

 

自分の意思を馬に上手に伝えることが出来れば、落馬のリスクは減ります。

 

「気づかず何もしない」のと「気づいて行動した」のでは雲泥の差が生まれます。

 

今日は気分よく家に帰れます。

 

今日は救急車で病院に運ばれ入院です。

 

皆さんどちらが良いですか?

 

後者を選ぶ人は誰もいませんよね?

 

私の経験上、自分だけに囚われている人は・・・敢えて「囚われてる」と書かせていただきます。

 

囚われている人は壁の中にいるから大概の事に気づきません!

 

気づかなければ当然、行動できません!

 

壁の中にいれば、行動できないのは当たり前ですが・・・・・

 

自分に囚われず、周りを見渡し一見、自分には関係ないようなことでも行動を起こすことにより自分に返ってきます。

 

たかがゴミでも気づかずに・・・もしかしたら気づいてても行動を起こさなかった事により窮地に立たせれることがあります。

 

気づいて行動した人は窮地に立たされることがありません。

 

気づいて行動した人はリスクがなくなる分、上達も早いです。

 

「気づきと行動」常に意識してみませんか?

 

私は馬術家として馬を題材にしましたが、

 

これって生きていく上で様々な事に当てはまりませんか?

 

自分だけに囚われず、周りを気遣い意識して気づき行動することにより最終的には自分の為になる事を気づいてください。

 

PS

 

私は最近気づいたことがあります。

 

そして、行動を起こしました。

 

自分の将来に非常に役立ち、自分の将来を保証するために行動を起こしました。

 

よかったら観てみてください。

 

観るだけなら無料です。

 

私の気づきと行動

 

PSのPS

実は私、茨城県で乗馬クラブを経営しております。

そして、ナショナルチーム経験のある競技者であり現在も現役選手です。

インストラクター・トレーナーとしても、多くの子供を全日本大会や国民体育大会に送り出し、入賞者も沢山輩出いたしました。

馬とふれあい、馬と共にスポーツを行い、喜びを分かち合う事により子供たちの精神を健全に育成することができます。

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日本人の気質?

【日本人の気質?】

私は馬術家であります。

 

選手もやる

 

インストラクターもやる

 

トレーナーもやる

 

コーチもやる

 

人にものを教えるにあたり体現できなければ人に対し説得力がありません!

 

なぜか日本人に対してだけです。

 

海外には馬に乗れないコーチもコーチ業を専門にやっている人がいます。

 

トレーナーも同様です。

 

専門知識が有れば、多くの生徒に慕われ生業としてやっていけます。

 

しかし、日本人は「見せてあげないと納得しません!」

 

日本人の気質なんですかね?

 

先日こんなことがありました・・・

 

私は現在48歳なのですが、21歳の時から全日本選手権の常連になり24歳の時に馬術障害飛越のナショナルチームに選ばれ一応一線級の仲間入りを果たしました。

 

その当時は勤め人でしたので、会社の力も大きかったと思います。

 

自分の志す部分があり26歳で勤めを辞め、5年間はフリーランスのトレーナー・コーチとして多くの生徒を国民体育大会や全日本大会に送り出しました。

 

その後は自分で乗馬クラブを経営して、現在15年が経ちました。

 

経営に携わり選手としての活動は程々にしていましたが、一昨年良い馬が手に入り調教を重ね昨年には国民体育大会に出場して優勝しました。

 

茨城県には多くの乗馬クラブがあり、2代目に代替わりした若い経営者たちがいます。

 

経営者の集まりにおいて、私は経験してきた多くの事を発言しておりましたが、皆聞いていなかったんです。

 

国民体育大会に優勝して初めて「仙波さんの言っていた事の意味が分かりました」だと・・・・・「仙波さんって本当は凄かったんですね」だと・・・

 

要するに体現して初めて納得したみたいです。

 

周りの若い連中は昔の私の事は伝聞で知っていたが、見てはいなかったので、説得力がなかったみたいです。

 

いまや「4年後に開催される茨城国体に先頭を切って皆を引っ張っていってください。」と言われる所にたどり着きました。

 

日本人を相手にするならば現在進行形で体現しないと何事も納得しないのが不思議な気質なんだなと痛感した一コマでした。

 

PS

実は私、茨城県で乗馬クラブを経営しております。

そして、ナショナルチーム経験のある競技者であり現在も現役選手です。

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生と死

 

【生と死】

 

私は馬術家であります。

 

仕事柄、多くの動物達との生と死に関わっております。

 

子供達に「動物とのふれあい」の場を提供しているので、馬だけではなく犬猫はもちろんの事、ヤギ・豚・ウサギ・陸ガメを飼育していた経験があります。

 

というより豚以外は今も飼育しています。

 

飼育している中で多くの生命の誕生にも立ち会いました。

 

馬術家として馬を知る上でも「揺り籠から墓場まで」を知る必要性を感じ、種馬をオーストラリアより購入して、種付けから始めた時期もあります。

 

その種馬も不治の怪我が元で、2年半前にこの世を去りました。

 

私が飼育している動物のほとんどが人間よりも寿命が短く、天寿を全うして別れていきます。

 

時には病気や怪我が元で別れた動物たちもいます。

 

特に馬は大きな動物ですので、病気・事故・怪我で安楽死を選ばなければいけない時もあります。

 

通常獣医師が安楽死の処置をいたしますが、苦痛を早くでも和らげる意味で、獣医師を待たずに自分で手に掛けたこともあります。

 

安楽死を善しとしない人達がいますが、安楽死を選べないオーナー様の馬を介護した時は日々、馬が私に向かい「早く楽にしてくれ」って眼差しを送り続けていました。

 

そして、死に向かう過程は壮絶極まりないものになり、最期を迎える前の2週間は夜もおちおち寝れない状況が続きました。

 

何がつらいといえば、自分が寝れない事よりも馬の眼差しが「早くこの苦痛から解放してくれ」って言っているようで看る事がつらい日々でした。

 

この場合、生かすがエゴか?殺すがエゴか?賛否両論があると思います。

 

壮絶な最期を知っている私は迷わず「殺すエゴ」を選びますが・・・

 

私は壮絶な部分はスタッフ以外には見せないようにしているが、死後は大人のお客様や子供達生徒に隠さずこの世を去った事を伝えます。

 

中には馬の死を伝えない乗馬クラブもあるようですが・・・

 

大動物の場合、遺体はその辺に埋めると法律で罰せられるので、処分業者に処分してもらいます。

 

処分業者が引き取りに来る前は遺体を安置しておかなければならないので、安置している間に会員・生徒の来場があれば線香の1本も手向けてもらいます。

 

特に子供達には死を受け入れる話もします。

 

動物の死を知れば、誰もが沈痛な面持ちになりますが、私は敢えて皆に伝えます。

 

「死んだものを偲ぶ事は大切だけど、嘆いたところで戻ってはこない、むしろ生きている動物達を慈しみ大切にしなさい」

と・・・

 

私の所は多くの動物たちが今も生きています。

 

嘆き悲しみ止まっていては生きている動物達に失礼であり、彼らは餌を待っています。

 

だからこそ悲しむのは部屋で1人になった時にすればいいと・・・

冷たいとは思いますが、それが現実です。

 

現実を受け入れ、自分が今何をするべきか?

 

生きている以上、止まれない。

 

「生と死」から学びなさいと・・・

 

私は私の生徒に動物を通し、学んだ事を人生にも生かせるように伝えています。

 

動物達は人生を生きていくためのヒントを沢山くれます。

 

日々動物たちに感謝です。

 

PS

実は私、茨城県で乗馬クラブを経営しております。

そして、ナショナルチーム経験のある競技者であり現在も現役選手です。

インストラクター・トレーナーとしても、多くの子供を全日本大会や国民体育大会に送り出し、入賞者も沢山輩出いたしました。

馬とふれあい、馬と共にスポーツを行い、喜びを分かち合う事により子供たちの精神を健全に育成することができます。

動物と触れ合うことによる最高の情操教育を提供しております。

子供を私に預けてみませんか?

興味のある方は是非お立ち寄りください

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http://www.horse.co.jp

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ゆとり教育って?

【ゆとり教育って?】

 

ゆとり教育って何ですか?

 

ここから

まず1970年代に日本教職員組合 (日教組) が「ゆとりある学校」を提起をし[6][7][8]、国営企業の民営化を推し進めた第2次中曽根内閣の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で、「公教育の民営化」という意味合いの中で導入することでゆとり教育への流れを確立した[9]。

さらに、校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれなど、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。

その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付け[10]、「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し開始した。

ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた日教組や教育者、経済界などの有識者などから支持されていたが、生徒の学力が低下していると指摘され、批判されるようになった[11]。

そして、中山成彬文部科学大臣は、中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、さらに第1次安倍内閣の主導のもとに、ゆとり教育の見直しが着手された。

さらに、教育再生会議(内閣府設置会議)が出した報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれた。

そうして2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、2009年度以降徐々に施行されていった。

マスコミからは、この改訂された教育の事を「脱ゆとり教育」と称されている[12]。

ここまでウィキペディアから抜粋

 

上分をウィキペディアで、参照したがどう読んでも大人の事情で、決められたことであって子供の事情は何も無いことを実感します。

 

教育や指導は計り知れないパワーを持っています。

 

一つ間違えば国民全体を危機に陥れるほどのパワーを日本人ならば分かると思います。

 

戦後70年になりますが、戦時の話を聞けば聞くほど恐ろしくなってきます。

 

教育

 

間違えてはいけません。

 

私は教育者とまで言いませんが、いち指導者として多くの子供たちを見てきて、肌で感じていることがあります。

 

私はゆとり教育について新たな概念を持っております。

 

私たち世代は団塊の世代終了直後の世代で、日本の高度成長期真っ只中の世代になります。

 

戦後の復興が一段落つき、親にも少しだけゆとりが出来て「一家に一台の乗用車」と言われる時代に子供時代を過ごしました。

 

教育も社会発展が主題で、体罰も許される、今の私が考えても至ってシンプルな教育であったと思います。

 

親にあっても子供の叱り方、体罰の限度を知り、悪い事をすれば叱られたのを今でも覚えています。

 

しかし、ゆとり教育世代の今の親は叱り方が下手で、子供たちは叱られ方が分かっていない様な気がします。

 

体罰と虐待の境目が分からなく、体罰を良しとしていない大人が多く、そんな大人達を子供達はなめています。

 

私は私の所に指導を求めてくる子供達の親には「私は言うことを聞かない子供はそれが必要と感じたときに子供を叩きます。」と宣言します。

 

私は子供達を預かり馬と言う動物を通して情操教育を主眼としている立場上、責任があります。

 

そして、馬と言う動物は体躯が大きいので、悪気が無くてもちょっとした事で子供達が怪我や命の危険にさらされます。

 

だからこそ「子供が私に叩かれるのと馬に殺されるのと、どちらを選びますか?」と究極の質問をして、「私に叩かれてもいい」方を選んでもらいます。

 

実際、馬が人を殺すことはありませんが、万が一のリスクを考え極端な言い方をします。

 

親の覚悟が無ければ、本当に良い情操教育が出来ないので、親の覚悟を知るためにも極端な課題を押し付けます。

 

覚悟の出来ない親は私に子供を預けません。そして預かりたくもありません。

 

私は馬と言う動物を通して、命の大切さを教え、動物の痛みや人の痛みを教えます。

 

子供の教育は学業ばかりが教育ではありません。

 

私の行っている、自然の中で動物とふれあい、動物とスポーツを行い、命の尊さや人の痛みを教えるのも教育の一環だと思っております。

 

ただ、その動物を使う以上、維持管理にはお金が掛かるので、無償でやっているわけではありません。

 

塾に行って学業を勉強するにも、私のような人のところで何かを習うにも親にお金のゆとりが無ければ、何も出来ません。

 

子供達に良い教育をするためには親に時間のゆとり、お金のゆとりが必要だと感じる今日この頃です。

私の概念にある「ゆとり教育とは?」

 

ゆとりのある生活の中で、子供達を間違った方向へ成長させないことこそが「ゆとり教育」だと思っています。

 

皆さんも、ゆとりある生活の中で、本当の教育をしませんか?

 


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